「ジュニア」と彼は呼ばれていた。
1981年の営業開始前に、支社長、
一人が年上の宮崎さんで、彼との区別のために「宮崎Jr.」
ついた。それ以来、「ジュニア」といえば、彼のことになった。
以来、彼とは33年の付き合いになる。
麻生・慶應・ヤナセの輝かしい経歴を持ち、
割と生真面目だけどワルぶりたい、そんな人だったと思う。
33年間、別にべったりお付き合いしてたわけではないが、
節目に連絡を取り合い、助け合って来た。
ソニー時代は、仙台支社長だった私のエリアマネージャーとして、
よく飲んだ。アカプルコで開催されたアメリカ・
ションをいっしょに参加したのも良い思い出だ。
後に日本のプルデンシャル生命保険が出来た頃、よく、
カタログ等を参考のためにもらいに来ていた記憶がある。
ジブラルタ生命の営業本部長に就任した時も、
戸惑って、一足先に東邦生命保険(当時GEエジソン生命)
私に、相談に尋ねて来たこともあった。
私のマニュライフ生命の営業本部長時代、
オデーの送別会に駆けつけてくれたのも、義理堅い彼だった。
そして、
後に、ジブラルタ生命でのチャンスを作ってくれたのも、
世話になった。
ソニー生命・日本プルデンシャル生命・
プルデンシャル生命・ジブラルタ生命等の礎を、
今週の木曜日、送らなければならない。
ソニー・プルデンシャル生命保険が出発、
改めて「適正化」という名目で、顧客本位の「ニードセールス」が
望まれている。
宮崎さん、あなたの駆け抜けた青春は正しかったと改めて言える。
ー「今日から変わる、ソニー・プルデンシャル生命保険が変える」
そのようになったね。
また、昔話が出来る相手を失った。
向こうの世界が賑やかになってゆく。
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ネクタイ派手夫 05月11日17時51分