2014年02月03日 10時26分更新
「ジュニア」と彼は呼ばれていた。
1981年の営業開始前に、支社長、
一人が年上の宮崎さんで、彼との区別のために「宮崎Jr.」
ついた。それ以来、「ジュニア」といえば、彼のことになった。
以来、彼とは33年の付き合いになる。
麻生・慶應・ヤナセの輝かしい経歴を持ち、
割と生真面目だけどワルぶりたい、そんな人だったと思う。
33年間、別にべったりお付き合いしてたわけではないが、
節目に連絡を取り合い、助け合って来た。
ソニー時代は、仙台支社長だった私のエリアマネージャーとして、
よく飲んだ。アカプルコで開催されたアメリカ・
ションをいっしょに参加したのも良い思い出だ。
後に日本のプルデンシャル生命保険が出来た頃、よく、
カタログ等を参考のためにもらいに来ていた記憶がある。
ジブラルタ生命の営業本部長に就任した時も、
戸惑って、一足先に東邦生命保険(当時GEエジソン生命)
私に、相談に尋ねて来たこともあった。
私のマニュライフ生命の営業本部長時代、
オデーの送別会に駆けつけてくれたのも、義理堅い彼だった。
そして、
後に、ジブラルタ生命でのチャンスを作ってくれたのも、
世話になった。
ソニー生命・日本プルデンシャル生命・
プルデンシャル生命・ジブラルタ生命等の礎を、
今週の木曜日、送らなければならない。
ソニー・プルデンシャル生命保険が出発、
改めて「適正化」という名目で、顧客本位の「ニードセールス」が
望まれている。
宮崎さん、あなたの駆け抜けた青春は正しかったと改めて言える。
ー「今日から変わる、ソニー・プルデンシャル生命保険が変える」
そのようになったね。
また、昔話が出来る相手を失った。
向こうの世界が賑やかになってゆく。
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