2012年02月17日 12時57分更新
自分らしく生きるとは・・
私が看護師3年目、とある大学病院勤務時代に受け持った患者さんの話。
40代、男性、咽頭がん末期、全身転移、妻と小学生の娘の3人家族です。
競馬が何よりも好きで、体が動く頃は病院を抜け出し場外馬券売り場へ行ってしまったり、口も悪くいつも暴言を吐きちょっと困った患者さんでしたが、ある日「今まで我儘ばかりして妻を困らせた事がたくさんあるし、まだ小さな子供を残して死んでいくことになってしまい後悔しているが素直になれない。」と話をしてくれました。それまでは正直、彼のベッドサイドに行くのは気が進みませんでしたが、それからは時間のある時は彼のもとへ行き話をしたり、時には代理でコンビニで競馬新聞を買ってきたりしました。先輩からは何度か、一人の患者さまにばかり気を取られてはいけないとアドバイスされましたが、家族や他人の前で強がってばかりいる姿は、年齢も近いせいか父親の姿とダブって見えて放っておけませんでした。
進行が早く入院数ヵ月後には腫瘍が口の中いっぱいに増大し、腫瘍からは常に出血しているためガーゼが詰め込まれ、絶えず血液交じりの唾液が口の端から漏れてティッシュやタオルが手放せない状態になりました。それでも楽しみは競馬新聞を見ることと面会時間いっぱい、ほぼ毎日通ってくる家族と過ごすことでした。
そんな彼も夜中には全身に転移したがんの痛みでうずくまりうなっていました。経験の浅い私は何とか少しでも楽になるように麻薬で痛みを抑えるよう話をしていたのですが、最後まで麻薬を使うことなく弱い痛み止めだけで過ごしていました。今では意識をそれなりに保ちながら痛みのコントロールができるようになりましたが、当時はまだまだ限られた施設で高度な技術が必要な状況でした。
ある夜勤のとき夜中にナースコールで呼ばれ彼の部屋へ行くとベッドにうずくまり痛みで声を出して泣きながら「殺してくれ!殺してくれ!」と何度も懇願してきました。まだ若かった私には、父親と同年代のその姿は非常にショッキングな光景で、麻薬を強く拒否している彼の背中や腰をさすることしか出来ませんでした。そんな状態でも翌日には妻や娘の前ではいつもの姿で接していました。彼がお亡くなりになったとき妻と、夜勤のときのエピソードを話しました。妻は「今まで自分や娘の前では一度も弱音を吐いたことがなかった」と教えてくれました。
今になって思うのは彼にとっては強い‘夫・父親’の姿であり続けることが自分らしい生き方だったからこそ、麻薬を使い意識が朦朧として寝たきりの姿を見せたくなかったのだと・・・そんな生き方もあるのだと思います。
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