2013年09月30日 11時22分更新
親子三人で、ジーッとある黒い物体を見つめていた。
時は、昭和の30年代。
やがて、約束どおりの時間に、その物体が振動を始める。
緊張の瞬間。
「ジリジリ」とも聞こえるし、「リーンリーン」とも聞こえる。
「もしもし。人見でございます。」
「ゴザイマス」もないもんだ。
相手は、一足早く電話に加入した、電車で二駅の母方の祖母だ。
これは、「市内通話」だ。多分10円だった。
こうして私の電話体験は始まった。
父の実家は、栃木県・那須温泉だった。東京から150kmぐらいだろうか。
こことの通話は大変だった。
何せ、その頃の那須の電話機はダイヤルがなく、手回し式でクランクが
付いており、交換手が操作していた。
(若い人は、何の話だか、もうついて来られないかな?)
これを、特別に「長距離電話」と呼んだ。
それを架けるには、
1.まず、長距離電話を電話局に申し込む。
2.何時ぐらいに繋がるか確認する。
3.いったん、電話を切る。
4.電話が鳴るのをひたすら待つ。おまけに、繋がったら会話は極力短め
にし(料金が高いため)、大きな声で話す。(聞こえにくいから)
こんなプロセスが必要だった。
その後50年余りの年月を経て、プッシュホン、携帯、スマホと進化してきた。
先週末、東南アジアの、とある王国にいた。
文明の進化は、一定のプロセスを踏むものと思っていた。
例えば、中国で目撃したように、自転車がバイクになり、バイクが自動車に
なっていくように。
だから、この国では、電話はまだプッシュホンが主流ぐらいとしか思って
いなかった。
豈図らんや、街を行き交うほとんどの人が、スマホを手にしていた。
(私はまだガラケー)
文明は、国境を超えるとプロセスも吹っ飛ばす。
車のラッシュ、バイクの洪水、そしてスマホの普及、屋台店と高層ビルの
乱立共存。
すべての文明が同時に流れ込んだ、エネルギーに溢れる青年期の国だった。
先月、突然、若き友人がベトナムへ移住したと聞いた。
転勤ではなく、現地の日本法人に就職したと聞いて二度びっくり。
時を同じくして、友人の女性経営者が、今年一杯で日本の会社を整理して、
マレーシアで新たにビジネスを立ち上げる決意を聞かされた。
少子高齢化、人口減少による市場のシュリンク。
コンプライアンスによる息苦しさ不況などが原因か。
みんな日本を捨ててどこへ行く。(アベノミクスも東京五輪もあるよ~)
まぁ、昔っから「青年は荒野をめざす」ものか…。
しかし、その時代は、上記の問題はなかったはず。
コミニュケーションツールの発達とともに、人はコミニュケーションが
苦手になったと聞く。
文明の進んだ果ての、この孤独と閉塞感。
幸せのためならば日本を捨てる事もありかな…
でも、温水洗浄便座は捨てられないな~
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