入院中はそれなりに楽しかった。
大学生のMさん、社会人のYさんが、
入院生活を2ヶ月ほど過ごした私には良い思い出になっている。
「同病相憐れむ」とはよく言ったものだ。
塩分を禁止された僕らは、キュウリを一旦塩もみにして、
後に塩分を洗い流しレモンで食べた。
この調理法、食べ方も、両お兄さんから伝授された。
50年近くたった最近、
出来た。奇跡だ。
あの頃の病棟は、大部屋に6人くらいだったと思う。
廊下と背の低いロッカーで仕切られていて、
よっぽどの重篤でない限り、
入院が長い人は、ベランダで花を育て、鳩に餌を与えていた。
見舞いに来る人は、
同病室の仲間は必ず、おすそ分けにありつけた。
朝から晩までバカ話。
人生模様を語り合い、落語よりも為になった。
夜は、消灯まではナイターを皆で見ていた。
なんか、悲喜こもごも、まるで合宿生活のようだった。
そこには強い絆ができていた。
「保険太り」なんて言葉もその時に仕込んだ言葉だった。
最近、入院中の高齢な知人を見舞った。
病棟は様変わりだった。
各ベットはカーテンでキッチリ仕切られていて、
隣がどんな人かわからない。もちろん窓は空かない。
無駄話や冗談など言いわない。
お見舞いの花など、持ち込みは禁止されているようだ。
自分で調理なんぞ考えもできない。
すべてがキッチリ管理されていてスキがない。
そんな孤独の中、知人は血液検査の数値は改善したが、
孤独ゆえ、発狂寸前になり、妄想状態になった。
「個人情報の保護」「プライバシー」など声高に叫ばれる現代。
入院生活も大きく変化していた。
改めて、「人間は社会的動物」の言葉が脳裏をよぎった。
どこでも繋がりが欲しいのだ。
一方、医学と同様、通信機器は格段の発達を遂げている。
各ベッドのカーテン越しに漏れる携帯電話の大声のやり取りが
やたら耳障りだ。隣とは話せないが、遠くの人とは話せる。
これは皮肉か。
「同病相憐れむ」
これも相互扶助の大事な要素だ。
コミュニケーションの機器は発達したが、
コミュニケーションの機会を失っている。
なんか、変だ。
コミュニケーションの達人・コミュニティ作りの達人の皆様
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ネクタイ派手夫 01月04日10時36分