2016年02月25日 18時59分更新
入院中はそれなりに楽しかった。
大学生のMさん、社会人のYさんが、
入院生活を2ヶ月ほど過ごした私には良い思い出になっている。
「同病相憐れむ」とはよく言ったものだ。
塩分を禁止された僕らは、キュウリを一旦塩もみにして、
後に塩分を洗い流しレモンで食べた。
この調理法、食べ方も、両お兄さんから伝授された。
50年近くたった最近、
出来た。奇跡だ。
あの頃の病棟は、大部屋に6人くらいだったと思う。
廊下と背の低いロッカーで仕切られていて、
よっぽどの重篤でない限り、
入院が長い人は、ベランダで花を育て、鳩に餌を与えていた。
見舞いに来る人は、
同病室の仲間は必ず、おすそ分けにありつけた。
朝から晩までバカ話。
人生模様を語り合い、落語よりも為になった。
夜は、消灯まではナイターを皆で見ていた。
なんか、悲喜こもごも、まるで合宿生活のようだった。
そこには強い絆ができていた。
「保険太り」なんて言葉もその時に仕込んだ言葉だった。
最近、入院中の高齢な知人を見舞った。
病棟は様変わりだった。
各ベットはカーテンでキッチリ仕切られていて、
隣がどんな人かわからない。もちろん窓は空かない。
無駄話や冗談など言いわない。
お見舞いの花など、持ち込みは禁止されているようだ。
自分で調理なんぞ考えもできない。
すべてがキッチリ管理されていてスキがない。
そんな孤独の中、知人は血液検査の数値は改善したが、
孤独ゆえ、発狂寸前になり、妄想状態になった。
「個人情報の保護」「プライバシー」など声高に叫ばれる現代。
入院生活も大きく変化していた。
改めて、「人間は社会的動物」の言葉が脳裏をよぎった。
どこでも繋がりが欲しいのだ。
一方、医学と同様、通信機器は格段の発達を遂げている。
各ベッドのカーテン越しに漏れる携帯電話の大声のやり取りが
やたら耳障りだ。隣とは話せないが、遠くの人とは話せる。
これは皮肉か。
「同病相憐れむ」
これも相互扶助の大事な要素だ。
コミュニケーションの機器は発達したが、
コミュニケーションの機会を失っている。
なんか、変だ。
コミュニケーションの達人・コミュニティ作りの達人の皆様
どう思われますか?
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