2013年09月24日 12時28分更新
「アンタさー、こっちは命より大切な金払っているんだからさー、どうしてくれるんだよ!」
無配当を三期連続したある会社の「若手経営合理化委員」達に浴びせられた罵声だった。
しかし、どこか、変だ。
若手合理化委員の5人と、株主20人、全員が浴衣姿だ。
しかも全員、二十歳ぐらいだ。
ここは、1975年、目黒雅叙園(ホテル)の畳敷きの大広間だ。
実はこのシーンは、日本オリベッティ(株)の第4次入社試験会場だった。
当時オリベッティ社は、ヨーロッパ最大の情報機器メーカーで、人気の企業であった。
それまでに3回の試験をくぐり抜けてきた我々は、目黒・碑文谷の本社で「指令書」を受け取った。
まさに、「ミッション・インポッシブル」だ。
その「指令書」にはこのように記してあった。
「本社前のバス停から目黒駅行のバスに乗って目黒雅叙園に行け。
指定された部屋番号にチェックインしろ。
その部屋のルームメートと『若手経営合理化委員会』を結成しろ。
(会社の現況は別添のとおり)
経営合理化案をまとめろ。
午後8時に大広間に集合。
それまでに、夕食を済ませ、風呂に入り、浴衣に着替えろ。
ひとチームごとに、経営合理化案を発表しろ。
残り4チームは、株主としてその合理化案を追求しろ。」
この指令の結果が、冒頭のシーンだ。
人事担当者は、これを観察して最終合否を決めたのだ。
そして、口八丁手八丁の強者が合格した。
なんとも、ユニークな入社試験ではありませんか。
この会社はなくなってしまったが、出身者は他の世界に散らばり、活躍した。
キャノン、リコー、カシオのようなパソコン業界はもとより、カルチャー・コンビニエンスクラブなども、オリベッティ出身者が黎明期を支えた。
TKCもだ。
ひるがえって、保険業界でも、アフラックの執行役員Kさん、ソニー生命の第一号エグゼクティブLPのNさん、執行役員のIさん、生命保険修士会会長のSさん、日本で初めてコンピューターライフプランニングサービスを世に出したSさん、プルデンシャル生命専務営業本部長のNさん、マニュライフ生命常務営業本部長のH(私です)などを輩出し、この業界に影響を与えた。(皆、「元」だが)
まさか、あの目黒雅叙園の大広間の出来事が、後の日本の生保業界に影響を及ぼすなぞ、昭和40年代には誰にも予想がつかなかった。
あの人事担当者は、未来の保険業界の人材を選考していたとは、「お釈迦様でも気がつくめぇ~!」
今も「未来の不思議」がどこかで起こっているのだろう。
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